
鹿児島![]()
鹿児島までは関西テレビが同行してくれました。いろんな事が頭の中で飛び交っていて、ろくなコメントもできずに大変申し訳ない事をしました。これからの事なんて聞かれても分からないし、むしろ分からないから旅に出て来た訳で。。人生の設計図が頭の中にあったらきっと旅に出る必要もなかったし、普通の大人の人たちのようにきちんとした会社に入ってまともな給料をもらって生活してるでしょう。
「この歳になってなにやってんだ。。。」
関西テレビの人たちが帰って久しぶりに独りになった時に思いました。
独りになった時間はとても神聖でした。いままでの全ての記憶が蘇り、まるで他人の人生を見ているかのような感じで自分の人生を振り返る事ができました。そうやって独りで旅をしているといろんな出会いがありました。
出会い![]()
出会いは必然と言われますが、1億分の1の確率でしか起こりえない「出会い」というものをこんなにありがたく感じた事はありません。鹿児島の根占にある温泉「ねっぴー館」で隣で鹿児島弁を話していた二人の男性。「あの、それ日本語ですか?」「はい、日本語です(笑)」から始まった会話。またどこかで。。といい帰って行った後、僕は町の居酒屋で飯を食べていると、ガラガラとドアが開いてあの二人が入って来ました。「あら、さっきの」と言うと「さっきはすまなかった、今からうちに来い」と。。どういう事かと訪ねると温泉で別れて家に帰って飲んでたらさっき会った若い旅人の世話もせず帰ってきてしまった自分達が許せなくなったそうで、奥さんの運転で1時間以上も町中僕の白いジムニーを探しまわったそうです。そのまま二人の家に連れて行って地元の焼酎とご飯を頂きました。。
「男の旅の邪魔はせん」といい家の中には泊めないが家のそばに車を泊めて寝てくれと渋い優しさを見せてくれました。朝には奥さんが窓を叩き手作りの弁当を差し入れしてくれました。。
根占の道の駅で崖崩れを修理していたシャベルカーの運転手の丸さんに声をかけてもらったのはその数日後。バイクで全国を旅するのが唯一の楽しみという彼と話しが弾み、気づいたら仕事終わりに彼のお家にお邪魔する約束をしていました。
丸さんの家にはなくなった奥さんと家を出た二人の子供達の匂いが残っていました。そこで独りで住んでいる丸さんは焼酎が大好きで人には人一倍優しい人でした。
ミクシーで知り合った人にも世話になりました。鹿屋のバラ園やとても美味しいラーメン家を紹介してくれました。
宮崎では関西テレビの方の紹介でライオンズホテルという温泉付きのビジネスホテルの社長さんに世話になりました。ソフトバンクホークスのコーチの田口さんとも仲良くなり、旅について、人生について、たくさん語り合いました。一緒に温泉にも入りました。
また東京の友達の友達にも会いました。焼き肉屋を経営してるんだけど日本は狭いと思っているらしく、外国に行きたいと行っていました。僕の外国での話しや弟がドバイで日本食をやっている話しなどたくさん話しをしました。
そして高千穂に行きました。日本とは神の国なんだと改めて感じました。昔からの日本の価値観、自然への気持ち、自然と共に生きる生活様式。いろんな所にある感謝の意を意味する神社や祠、そしてそれにまつわる音楽、舞、芸術に切ない程の愛しさを感じるのでした。川が流れていたらその川に感謝し、雨が降ったら雨の神様にお供え物をし、魚を食べたら魚の神様に感謝する。そんな日本の姿があらゆる所にありました。美しいと思いました。
熊本の阿蘇に入る前に立ち寄った地獄温泉で知り合った柳川の人にパンをもらいました。
熊本ではビエントというアーティストに出会いました。紹介で出会ったのですが、僕は生まれて初めて他の音楽人を尊敬しました。ミキさんという作曲、シンセサイザー担当の女性と万里(ばんり)さんというケーナ(笛)と語りの男性のデュオなんだけど、人のライブを見て「うらやましい」とか「鳥肌がたった」とか「涙が出た」のは初めてでした。僕が旅の途中だからとかではなく、その音楽性、メッセージ性、そしてこの二人の生き方に心から感動しました。
そしてビエントの福岡公演に出演させてもらう事になったのです。
また阿蘇神社で町おこしをしている同い年くらいの人に会いました。町おこしに必要だったのは「新しい事ですよね」と言ったら「昔に戻しただけだ」と言いました。
その前に大分県にいるアメリカの画家のアツシの両親にサプライズで会いに行きました。電話番号が分からず、住所しかなかったので仕方なかったのですが本当に驚いてました。実はアツシも若い頃自転車で日本一周をやったらしくその時はたくさんの人に世話になったからそのお礼で僕にも本当によくしてくれました。
そして福岡についてビエントさんのファン600人の前で「親愛なる母上様」を歌いました。ステージの脇で聞いていてくれた尊敬するビエントの二人が聞き終わった後に涙を流して「ありがとう」と言いました。
茨城で酪農を営んでいたのに福岡の山に10年以上前に30頭のうしを連れて引っ越してきたという酪農家の所に行きました。製薬会社のエリートマンだったのにも関わらず病気を治すよりも病気にならない体作りの仕事に就きたいと思い、1年かかって家族を説得して酪農家に転職したそうです。数年の研修を経て茨城で酪農を始めたのですがある時九州でもっとのびのびとうしを育てたいという夢が現れ、いても経っても居られずに引っ越してきたそうです。
僕が全てを犠牲にしてもアメリカから日本に来てしまった事や、持ち物を空っぽにしても東京を出て旅に出た事を「普通そうだろう」と言ってくれました。奥さんが彼の夢を理解するのに1年かかったそうですが決めての言葉は「オレは酪農家にならないと死ねない」だったそうです。
八女市には宇宙から地球を見る事ができる人に出会いました。物の見方、考え方が本当に大きくて、偉大で、凄い人でした。子供の教育に携わっていて、人に与える事が生きる事だと断言されました。
地獄温泉で会った柳川の人と連絡がつき柳川で会いました。町おこしの一環として柳川勉強会を開いているそうです。東京に長い間住んでいて帰って来た故郷の良さを知り、長い間空けてしまった故郷の為に尽くしています。夢は「柳川城」を復活させる事だそうです。
佐賀では地元を愛し、大阪と佐賀を行き来する生活をしている事業家に会いました。たくさんの名言と知恵を教えてもらいました。
覚悟![]()
偶然の出会い、紹介の出会い、すれ違いの出会いなどいろいろありました。全ての人が一生懸命生きていました。そして信じる道を進んでいました。先祖の為に生きている人、人の為に生きている人、自分の為に生きている人。全ての人が自分で選んだ道を誇りを持って生きています。そしてそういう人だからこそ旅にでて自分の生きる道を探し求めてる僕を応援してくれ一食、一泊、一遊を共にしてくれました。
そして全ての人が僕に言いました。素敵な歌(親愛なる母上様)をありがとう。と。
無謀な旅に出ようとしていた僕にうし君の手紙がお母ちゃんと出会わせてくれた
手紙のおかげでテレビや新聞を通したくさんの人に出会えた
手紙と曲を聞いた人がこんな僕に「ありがとう」と涙を流し、旅の資金としてCD代をくれた
そのお金で僕は旅をした
旅ではいろんな出会いがあったが手紙のおかげでより意味のある旅になった
そして日本は思っていたとおり美しい事が分かった。
僕の尊敬するビエントさんまでもが僕が言う前に「ありがとう」と言った
手紙のおかげで僕は子供達の前で「お兄ちゃん」になれた
僕が意図しない所で手紙と体の無い魂と音楽の力が動いている
そんな偉大な力の前に僕のちっぽけなエゴや羞恥心や肝っ玉のなさなんて無意味に思えた
そして、音楽を形にし、そして伝えていく「道具」としての「音楽家」として
この美しい国、日本で生きていく事を「覚悟」する事ができた。
それが九州の旅でした。
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